生きづらさと死にづらさ
ごきげんよう、たやちゃんです。
今年もあと3か月らしいですね。早いものです。何もせずあっという間に20歳になってしまいそうです。
さて今回はちょっとめんどくさい話です。
今までもめんどくさかっただろとかいう声はガン無視させて頂きます。というかこれまでの記事で既に重いわとなっている方がこれを読んでしまった暁には圧死してしまうのではないでしょうか。知らないところで殺人犯にはなりたくないのでブラウザバック推奨です。
ブラウザバック推奨とか二次創作以外であまり見ませんね。
突然ですが、私は生きているのが割と辛いです。
衣食住に不自由なく、何らかの事情がない限り毎年海外旅行に行けて、中高大と私立で、恋人はいないものの友人は多くもなく少なくもなく人並みにいて、いじめられた経験は小学校低学年の2年間と中学1年生のときだけで、猫も飼っている、そんな私ですが生きているのが割と辛いです。
辛いというかつまらないというか。
不幸話に混じってマウント取ってんじゃねえ!自慢話すな!と思われたかもしれませんが、自分自身を客観的に見ると「恵まれている」ことは事実なんですよね。認めたくない話ですが、世間一般的に見ると恵まれた環境で生まれ育っている。「中大はFランwww」とか言いながらやはり世間一般的に見ると学力的には上位層。そもそも海外旅行毎年行かせてくれる親がいるという時点で経済的に恵まれ、親子仲も悪いわけではない家庭で育っていることは言うまでもないでしょう。
そんな私がもしある日突然自死したら、きっと私とさして近くはない人間はこう思うかもしれません。
「理由なくね?」
普通に考えてみればどこにも自死を選ぶ理由は見当たりませんよね。
経済的に困窮してる訳でもなければ現在進行形で親に虐待されてる訳でもなく、大学内に居場所がない訳でもなく、友人も家族もいない訳でもなく、じゃあ何故?となるかもしれません。
実際私はSNS上でもリアルでもかなりにぎやかな人間ですのでこれまで何回も「人生楽しそう」とか言われたことあります。
楽しいわけねえだろば~~~~~~~~~~~~~~~~~~~か!!!!!!!!!
確かに世間的には恵まれているかもしれない、生きるのに不自由なことは何もない、それでも自分自身が生きづらいと感じたらその時点で人生が楽しいだなんて
──────────ここで日記は途切れている。
はい、3か月経ちました。
2020年最後の月の私です。たやちゃんです。
日々細胞が入れ替わる人間ですから、3か月もあれば別人とまではいかなくともある程度は劇的ビフォーアフターが見られるのではないでしょうか。
~なんということでしょう~
人生がつまらない、生きづらいと感じていた生きる屍こと”私”
は
人生はつまらないことだらけだし上手くいかないことばかりだったけど、最近漸く日の目を見ることができて案外捨てたもんじゃないなと思いながらもこれからどれだけ大きな災いに見舞われるのか怯えながら暮らし、別に生きやすくなったわけでも生きづらくなったわけでもなく平々凡々と日々を営む一般女子大生”私”
に生まれ変わったのでした。
~完~
これで良いんですよ。
19年間ロクなことが無かった人生だったけど20歳という節目を迎える前にいろいろあって人生そんな捨てたもんじゃないな、と心を入れ替え楽しい毎日を過ごすような出来過ぎているストーリーは私には似合わない。というか解釈違い。
なのでもっと陰鬱に生きろ、でもそうすると幸せを与えてくれている人たちに失礼になるから精々今のうちに幸せを享受しておくんだな、それでいつか訪れるどんでん返しを覚悟しておけよ、ということを自分から自分に常に言い聞かせるようになりました。
本当にそれで楽しいの?幸せなの?と聞かれても手放しにうん!しあわせ!とは言えないです。だって未来怖いじゃん。
ただたとえ未来の自分がどれだけ困ろうが今の私には知ったこっちゃないです。今の私はとても楽しいし、幸せなので。
じゃあ何故手放しに幸せと言えないのかというと、未来の自分への配慮からです。
結局何だかんだ言って自分は可愛いし自分が大好きだし自分を傷つけることはしたくないので、未来の自分が今の自分を見たときに辛い思いをしないように、「あ、うん!いやそういうこともあるよね!うん今の自分もわかってたから!うん!」というスタンスでいるようにしています。
人はこれを「自己防衛」と呼びます。
呼ばない?じゃあいいや
やはり文章を書く機会が減ったり、普段から()とか(語彙力)とかで済ませてたりすると本当に語彙力がなくなることが改めてわかりました。
次号のリトマスどうしよう。
こんな感じで今年度は締めくくろうと思います。
当初の予定と変わってタイトルとは全然関係なくなってしまったけれどもそんな計画性の無さも私らしいと言えば私らしいですね。良い感じに締めるな。
お粗末!